27回BELCA賞ロングライフ部門表彰建物



通天閣

所在地

大阪市浪速区恵美須東1-18-6

竣工年

1956年(昭和31年)

建物用途

道路上建造物

建物所有者

通天閣観光

設計者

内藤多仲(新築)、樺|中工務店(新築・改修)、
鞄立建設設計(改修)、鞄立製作所(改修)、
渇恆コ組(改修)

施工者

渇恆コ組(新築・改修)、飛島建設梶i改修)、
鞄立製作所(改修)、樺|中工務店(改修)

維持管理者

通天閣観光梶A鞄立ビルシステム
 大阪の名物タワーである。あいりん地区や飛田新地にも近く、ジャンジャン横丁など独特の雰囲気をもつ繁華街である「新世界(大阪市浪速区)」の中心に建っている。初代通天閣は1912年、第五回内国勧業博覧会(1903年開催)の跡地に新世界ルナパークと共に建設されたもので、パリの凱旋門とエッフェル塔を模倣したデザインであったが1945年に火災や戦争により解体した。現在の通天閣は二代目で、地元新世界の有志などによる民間の出資により1956年に再建された。設計は内藤多仲と竹中工務店、施工は奥村組である。「他の町にはない庶民の塔」をつくるというコンセプトのもと、八角形の平面形状、展望台下のくびれ、四方に突き出たトラスが外観の特徴であり、地域のシンボルとして、その基本的な骨格と姿はいずれの改修でも変わっていない。2007年には国の登録有形文化財に登録されている。構造体については、2015年南海トラフ大地震に耐えうるよう免震化工事を行っている。道路を跨いだ制約により下部展望台(3・4階)までのエレベーター棟がタワー部分と別構造になっていることを活かし、下部展望台下における中間階免震構造といている。このことは、エレベーターシャフトや道路の工事が少なく、工事中の営業継続、道路機能の継続にも叶った計画となっている。基壇脚部は鉄筋コンクリート被覆で補強された四本の脚とそれぞれを固めるつなぎ梁による免震下部層、積層ゴムとオイルダンパーによる免震層、そして下部同様に鉄筋コンクリートとつなぎ梁で補強された免震上部層の3層で構成されている。通常免震装置の上下は重厚な躯体になるものだが、既存の骨組みの形に配慮した補強や化粧によって、まちに対して圧迫感、閉鎖感を感じさせない。設備面では、揺れの変位に対応する余長設備は中間免震層を活用、電気、水道の引き込みも改修し脚部に露出して配管、目視点検を容易にしている。外観上は動物園側から見えないようには配慮している。省エネ化については新世界の夜景を彩るネオンサイン、デジタル大時計、天気予報ネオンや屋内照明を全てLED化、空調設備の更新を行っている。保守・メンテナンスは、30年にわたる保全計画がある。また、集客施設としての魅力や機能の維持と向上にも積極的に取り組んでいる。上下の展望台と地下の施設は時勢に合わせて用途を変えている他、初代通天閣の天井絵の復刻、屋外展望台(展望パラダイス)の新設を行っている。バリアフリー化の面でも地下へのエレベーター、車椅子使用者用のトイレの増設も行っている。一方でインテリアデザインは、コテコテ感・野暮ったさを感じたが、新世界はこの方が良いということであろうか。ともかく1975年に年間20万人まで落ち込んだ通天閣来場者数は10年連続100万人を超えるまでに回復しているとのことである。新世界は通天閣が中心となりネガティブなイメージを払拭し、新たな観光地として変貌を遂げつつある。さらに隣接する阿倍野エリアは近年「あべのハルカス」、「キューズタウン」、「てんしば」が生まれ連携も期待できる。通天閣は、電波塔の免震改修の良い先例であると同時に、今後も新世界を超え、阿倍野、更に大阪全体の中でもひときわ個性的で「おもろいタワー」として国内外の人々の心を惹きつける存在としてあり続けるのだろう。

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