17回BELCA賞ロングライフ部門選考講評

BELCA賞選考委員会副委員長 鎌田 元康

 第17回BELCA賞にも、例年同様多くの応募物件があったが、ベストリフォーム部門、ロングライフ部門ともに、例年にもまして優れた物件が多いというのが選考委員全員の感想であり、書類審査による1次選考から激戦となった。今回ロングライフ部門で選定された表彰物件は、昨年と同数の4件であるが、工場から博物館・飲食施設に用途変更された「サッポロビール博物館」、ホテルから教育施設に用途変更され「武庫川女子大学 甲子園会館」が含まれているように、ベストリフォーム部門とロングライフ部門の境界が必ずしも明確ではなくなっており、両者を厳密に区別することなく、両者合わせて10件を選ぶという選考方法が妥当なものとなっていると感じさせられた。今回は、ロングライフ部門の表彰物件である4件すべての現地審査に立ち会わせていただいたが、所有者、設計者、施工者および維持・管理に携わる方々が、各々の立場から真剣に建物を長く使うために努力されていること、また、所有者の方が、建物に強い愛着を持ち続けていることを知ることができ、選考委員の1人として感謝したい。

 「サッポロビール博物館」(1890竣工、1987年および2006年改修)は、旧北海道庁舎と同時期に、ドイツ・サンガーハウゼン社の設計によって精糖工場として創建され、その後、1903年に麦酒工場、1966年にサッポロビール園へと転用を繰り返し、1982年にサッポロビール博物館として再出発するに至った建物であり、北海道開拓の歴史を刻むレンガ造の産業遺産として札幌苗穂地区の工場・記念館群の一つに数えられている。19861987年にはスペースの拡幅、劣化部分の修繕を目的に大規模な改修工事を行い、既存レンガ壁、連続レンガヴォールト天井を残すことに配慮した巧みな耐火耐震補強を行い、シンボルとしての煙突もピンニングによって補強し、空気調和設備も整備している。さらに、2004年〜2006年の改修では、敷地内工場群の郊外移転と跡地開発を契機に、景観保全のための空地を確保しつつ周囲に集客施設を整備するという全体計画を立案し、本施設を中心にした豊かな緑と新たな賑わいを創出することで、まちづくりへの貢献を図るとともに、設備的にも非常用自家発電機の増設などがされており、今後も長期修繕計画に基づいて計画的な設備補修、更新が予定されている。これら、適切な改修工事を行うとともに、外構の整備、清掃にも気を配り、四季を通じた地域の魅力作りに貢献している点が高く評価された。

 「天神ビル」(1960年竣工)は、福岡市中央区天神の渡辺通り、明治通り、昭和通りが交差する中心街区に建つ最新のビジネスセンターとして計画され、竣工当時に九州の高度成長のシンボル的な存在となった、述べ床面積33,000u超の規模を誇る建物であり、地上で地下躯体を構築しながら、同時に地上を施工するという当時の先端技術である潜函工法を採用し、18ヶ月の短工期で建設されている。茶褐色の有田焼窯変小口タイルと隅部を丸くした形状のステンレスサッシュを用い、フラットな表情にまとめた外観は、外壁面を美しく維持する「セルフクリーニング」の考え方を先取りしたデザインとも考えられ、適切なタイル保全の実施、耐久性に富むステンレスサッシュの採用と相まって、建設当時の外観を維持し、活気ある福岡のランドマークとして広く市民に根付いている。また、竣工後30年を経過した頃から開始した設備の更新はすでに一巡し、その後は5年間の中期保全計画を作成し、その計画に基づき運用管理を実施しており、省資源・省エネルギー化を適切に遂行するとともに、情報化対応、防犯性向上なども行っている。建物の維持保全、設備の更新・改修など、すべての点から、ロングライフ部門の優秀な物件と評価された。

 「日光金谷ホテル」の木造一部大谷石造の本館(1893年竣工)は、数回の増改築が行われており、1935年には、地下を掘り下げて総2階を総3階に増築するという特筆すべき大改造を経て今日の姿に至っている。他に、1901年新設の木造2階建て新館、1936年の久米権九郎設計になる木造一部RC造3階建ての別館などから構成されている。建設当時の技術水準の高さと職人芸の誠実な仕事ぶり、また、使い続けることで日常的な維持管理が行き届き、保存状態が極めて良い点、新規の物を極力加えず、元の意匠を損なわない最低限の柱・壁などの構造補強と設備の更新に徹し、既存建物の制約下で最新のホテル水準までは到達できない限界を承知した上で、保存と改修のバランスを取り続け、アインシュタインが宿泊した部屋の再生など、むしろ復元的改修に重きを置いているようにも思われる点などが評価された。

「武庫川女子大学 甲子園会館」(1930年竣工)は、旧甲子園ホテルが、戦時中は海軍病院、戦後はGHQ,そして大蔵省へと管理者が転々とする数奇な歴史を辿った末、1965年に武庫川学院に取得され、建築学科の教室、スタジオ、図書室などへと全面的に改修された建物である。創建時の設計者である遠藤 新は、帝国ホテル建設に携わった経験を生かし、大谷石より耐久性に優れた日華石の選択、軒先の石材をコンクリートスラブに打ち込む一体化のディテール、スラブ上配管やトレンチによる設備の集約と更新性への配慮など、独自の長寿命化の工夫を随所に行っており、また、阪神・淡路大震災でも殆ど無傷のまま残ったことは、当時の設計・施工技術のレベルの高さを物語っているといえる。耐震改修において、元の意匠を損なわない最新の補強技術が駆使されている点、設備関連は節目ごとに改修・更新されてきたが、いずれも当初の設計意図を受け継ぎ、その風格を持続している点、さらに、旧甲子園ホテルのフランク・ロイド・ライトの意匠を思わせる全貌を完全な姿で残し、愛着をもって学生が使用している点が高く評価された。